縁ジェリスト日記554〜島田大祭、帯祭り

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私の生まれ育った静岡県島田市には日本三奇祭のひとつ「帯まつり」があります。寅巳申亥の3年に一度。 島田は元禄時代、外から嫁いできた者は大井神社に安産祈願と氏子になった報告をした後、晴着衣装のまま町を歩かなければならないしきたりがありました。しかし、それでは見世物同様だと周囲からの反対の声が上がると当時大井神社の神輿を共に歩き警護をしていた大奴の原型「仮装の山伏」の太刀に架けさせてもらい代わりに披露したのが始まりです。 祭りには「街(ガイ)」と呼ばれる町単位で参加します。一街から五街までが屋台、六街が鹿島踊り、七街が大名行列を出します。「街」というのは、1つの国のようなものです。初日と2日目は、1つの街の中に、同時に2つの街の催しものがいてはいけない、というしきたりを守らなければなりません。例えば、六街の鹿島踊りが三街にいる間、他の街の屋台や行列は一切、三街に入ることができないのです。各街の境目には、国境線ともいえる境界線を白線で引いています。街の催しが出入りする際は、同時に入って、同時に出るということをしなければなりません。街への出入りは何時何分という細かいタイムスケジュールが事前に組まれています。そこで、列車のような定時運行厳守のために走り回るのが、各街の青年本部の「伝令係」と「応接係」です。「伝令係」は通信連絡役、「応接係」は外交官です。例えば、一街の屋台がニ街から三街に入る際には、まず、一街の伝令係が、三街の青年本部に行って「今から一街の応接係が参ります」と伝えます。次に一街の「応接係」が三街の青年本部へ行き、「スケジュール通りに入ります」と伝え、三街の青年本部が「わかりました」と許可を出します。そこではじめて、一街の屋台は三街に入ることがでるのです。逆に一街屋台が出た二街青年本部へは同じ手順で「出ました応接」を行います。祭りでは、各街の伝令係、応接係が飛び回っています。この他に例のない祭運営などが奇祭と言われる1つであるとされます。 ちなみに花嫁の文金高島田の島田まげもこの地に由来します。私の伯母も伯父もこの祭りに大きく関わっていてNHKにも度々出演しています。私は18才で家を出てしまい両親ががっかりしたのは言うまでもありません…(^^;; 12日投稿 雨宮知帆子 -- iPadから送信

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雨宮さま、伝統的な島田のお祭りよ様子ありがとうございました。13日内藤初三

はつみ様、ありがとうございます。300年の伝統を守る事の素晴らしさを感じております。14日雨宮

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