12月23日~24日、仙台市に行ってきました。今まだ海岸線は、何キロもこのような家が
続いていました。実際には、何百キロもなのでしょう。
これは地震と津波で海の水が上昇、道が地盤沈下しています。また津波は10メートル以上、
2階建の家の屋根まで、水がきたことをうかがわせるような、壊滅状態の家々がのきなみ続いています。
「仙石線」が通っていた野蒜(のびる)という町は廃墟。仙台と石巻を結ぶローカル線が通り、おだやかな田舎町だったのでしょう。しかし、線路ごと津波に飲み込まれ、町には人っこひとりいません。
ところどころ大型バスが家の前に停車しているのは、各地のボランティアが、家の中の
そうじをするためです。
(タンクが流されて、家と家の間にごろんと横たわっています。)
先日公表された国の被災者に対する最初の支援金は、数万円から
十数万円だったと思います。実際に現場をみれば、莫大な数の
方々が被災されたため、その金額なのかもしれないと思ってしまいます。家も家族も仕事も自分の住んでいた町や学校、すべてを無くされた方々のことを覚えて、クリスマスに是非皆さまとわかちあいたいと思いました。
撮影:投稿 長岡
長岡様、仙台まで行き様子を投稿して頂き改めて被害の大きさと、まだ復興できていないありさまを拝見しました。早期の復興を願いたいと思います。また寒さに頑張ってと、お伝えしたいようです。 内藤初三。
長岡様、仙台へはどのような目的で行かれたのですか?それにしてもまだこのようなひどい状態なのには驚かされます。貴重な写真をありがとうございます!25日雨宮
長岡様
あまりにひどい状態に言葉を失います。この写真を見て、地震のあったこと、まだまだ苦しむ人がいること、国の政策が行き届いていないことを思い知らされます。忘れてはいけない、流されてはいけない、まだまだ私たちのすることがあることを知らされました。12月25日内藤誠子
長岡様
取材をご苦労様でした。どんな立場で行かれたのですか。ここには、とても住めませんね・26日 東條初恵
東條様 雨宮様、所用があり奥松島まで出かけました。心が痛み、なかなか回復しませんが、今自分にできることを精一杯やって前進するのみです。長岡
どきどきする写真をありがとうございます
私の娘も 10日ばかり家にいましたが また石巻にボランティアに行きました ネットでめ組を見てください 活動報告が出ています いがらし
長岡様 貴重な写真をありがとうございます。まだまだ大変な状況なのですね。28日宮澤