ふだんは『建築士です』『設計事務所をやってます』などとあいさつすることが多いのですが、
たまに『福祉住環境コーディネーターです』『バリアフリー設計が専門です』などということがあります。
17,8年前、当時務めていたカラーデザイン事務所で、高齢者施設のコーディネートの仕事に携わる機会があり、
そこではじめて『バリアフリー』という言葉と出会いました。
まだ、バリアフリーなんて言葉は、専門家でもあまり知らない時代。
所長に『勉強しなさい』と叱られながら、いろいろな本を読み、
初めて知る世界に驚いたり、ワクワクしたりしたのを覚えています。
この時に、今の私を方向付けた言葉あります。
『社会的入院』
この言葉との出会いが、今の私を作りました。
病院というのは、急性期の治療を施す場所であり、病状が落ち着いて慢性期に入った患者さんは、
本来入院の必要はありません。
しかし、帰る家がない、引き取り手がいない、独居で家庭に介護者がいない、後遺症があって動けないなどの理由で、
治療が必要なくなっても、退院できず、入院を余儀なくされる人がいました。
介護保険が始まる前のこと。こういう人達が入院する場所は『老人病院』と呼ばれ、
全国にたくさん用意されていました。
このように、入院する必要がないのに、退院できない理由があるために入院し続けなければいけないという現象を
『社会的入院』と呼びます。
たとえば、脳梗塞の後遺症でマヒが残り、車イスでの生活が必要になったけれど、家の作りが車いすに対応していないため、家に帰れないので退院できずに入院し続けるというようなことが起こったわけです。
自分の家に住み続けるなどということは、あたり前のことであり、誰も疑う余地はなく、
そこに家がある限り、住めなくなるなんてことがあるとは考えたこともありませんでした。
『自分の家に住めない人がいる』ということに、私はとてもショックを受けました。
そして、それは少なからず建築関係者にも責任があるのではないか、と考えたのです。
今でこそ、バリアフリーという言葉は、誰でも耳にするようになり、おぼろげながらでも、
意味を理解している人が多くなりました。
でも、その当時は、住まいに段差があるのは当たり前。(それは、いろいろな意味で必要なものではあったのですが)
設計者が、一般住宅の、段差をなくす、手すりをつけるなんてことを考えることなど、
まったくといっていいほどなかった時代でした。
でも、現実に、自分の家に住めなくなって困っている人がいる。
それは、設計の段階から配慮していれば回避できたことでもあっただろうと思いましたし、
今目の前で困っている人たちをなんとかしないといけないという大きな命題もありました。
いろいろなことを理解するにつれ、いつしか私は、自分の進む道がそこにあるのではないか、と思うようになりました。
もとより、大きな建物を設計したいと思って進んだ建築の道ではありませんでした。
自分が見渡せる範囲の仕事をしたくて、住宅の設計という道を選んだ経緯もありました。
誰かのためになる、という仕事をしたいと思ってもいました。
それまでは、福祉という分野には縁もゆかりもなかった私が、手当たりしだいに、
関係するいろいろな本を読み始めたのは、そんなきっかけからでした。
(長くなりそうなので、続きはまた)みぞろぎ
バリアフリ-とゆう言葉は今では誰もが耳にして理解する人が多くなりました。現在住んでいる人も、手すりを付けたり段差がないようにりホウムしてもらっています。建築もそんな時代ですね。8日はつみ
溝呂木様 続きも楽しみにしています。8日宮澤
うちも建築土木をやっていた時期があり社員が福祉住環境コーディネーターの資格をとり、やっていた時期があります。外構工事のスロープや手すりくらいですが、営業がうまくまわらずやめてしまいました。みぞろぎさんはしっかりと勉強なさっていてその道のプロ。丁寧にお仕事されるのでしょうね、、続きを楽しみにしています。8日雨宮
貴重な投稿ありがとうございます。社会的入院という言葉は、現在は「精神障害」の方々に多く使われているような・・・一歩進んで、どんなご自宅でも、退院したあと、受け入れる方々の存在が、本当に大切だと。バリアフリーをしてでも、その方を受け入れしたいと思って下さるご家族がいらっしゃることは、心から幸せで感謝ですね。
溝呂木様、
毎日投稿ありがとうございます、おっしゃるとおりです、そこに大きな家はあっても、住んでいない家が年々多くなってきています、老夫婦がご主人がなくなり、奥さんだけになった場合
施設に預けられ立派な家でも、リフォームさえされず、そのまま空家のままになっています、
これからは、そんな家は年々増えてきます、子供はすぐ近くにいても、両親を自分の家へ入れて、一緒に住もうという努力は0です。これから20年先30年先までも、このような現象は続いていきますが、老夫婦がげんきで、2人が、一緒に暮らす場合は、リフォームをして、住みやすく生活しやすく、していかなければなりません。そこに直面した時、溝呂木さんの仕事は、大きく変化していくと思います、
壱番大切な時がきますので、自信を持って頑張ってください、10月8日.東條初惠、
「社会的入院」と言う言葉を始めて聞き、知りました。難しい感じのする言葉だなと思ったら、悲しい現状を意味する言葉だったのですね。私が小学生の時に、おじいちゃんが脳梗塞になりそれから13年、家での療養となりました。家の中で、廊下と畳の部屋の2・3センチの差を上がるのにユラユラ麻痺した方の手を揺らしながら麻痺してない手で障子戸をぎゅうっと掴み、2・3センチ上がってるさんを見つめ2・3分してようやく足が上がり、長いことかけて移動していました。それをそばでずーっと見ていて、段差のある家はやめようと思いました。それが、今のバリアフリーと言われるものになって、いろいろ考えてくれる人ができました。素晴らしい人たちです(みぞろぎさんもその一人ですね)おじいちゃんは、イタズラをすると箒を持って追っかけてきて、怒る厳しい人でしたが、家でみんなで看病も含めてですが、することに何も言わずうけとめてくれていました。反対にわたしたちを気ずかってくれました。コメントになりませんが、思い出して、優しさになみだがでます。思い出させてくださりありがとうございます。
はつみさん
一般の人にも広まって、バリアフリーという言葉も市民権を得た感じがしています。新築の時から考えられたらもっといいな、と思っています。
宮澤さん
ありがとうございます。がんばります♪
雨宮さん
この仕事、手間がかかるんですよね。始めてみて初めて『だからみんなやらないのか…』ということがわかりました(笑)
でも、必要なことだと思っているので、細々とでも続けていけたらいいなと思います。
ながおかさん
精神障害者の方が一番在宅へということが遅れているのでしょうね。
受け入れてくれる家族あっての福祉住環境整備なのですね。私のところへ話が来る時は、すでに在宅でというところまでは決定していることが多いので、あまり考えたことがありませんでした。
ただ、独居の高齢者の方のお宅などに行くと、いろいろと考えさせられることがあります。
制度の問題も、たぶんこれから考えていかなくてはいけないことなのだろうと、おぼろげながら思っています。いろいろと教えて下さいね。
東條会長
高齢者の一人暮らし、または夫婦二人暮らしの世帯は、どんどん増えています。これから考えていかなくてはいけない問題なのだろうと思います。
安全で安心した暮らしのための住まいは、高齢者の方にとって何が何でも必要です。少しでもお手伝いできることがあったらと思います。
誠子さん
一歩足を出すのに20分。それでも、自分の家で暮らしたい。そんな方がたくさんいます。
いろいろな家庭を見ていると、高齢期の生き方は、それまでどう生きてきたのかの集大成なのだと思い知らされます。
お祖父様は、きっと家族を気遣って生きてこられたから、家族の皆さんに大切にされたのですね。
やさしい誠子さんを育んだおうちは、とてもステキなご家族だったんだなーと、そんなことを思いました。