嫁ぎ先のひいおばあちゃんは、なかなか手のかかる人でした。
同居早々聞かされたのは、「乳母日傘で育った人だからね。」という家族の言葉。
まあ、どうやら家事ができない人という意味のようでした。
いっしょに住んでみると、たしかに大変な人ではありました。
とにかく、何事においても大雑把。
片付けも苦手でしたし、やりかけで散らかしっぱなしのこともしょっちゅう。
お茶碗の汚れは落ちてないし、台所はびしょびしょというぐあい。
一方、出歩くことが好きで、人と話をすることがとっても好きな人でした。
三男がおなかにいるときに、突然歩けなくなり入院。退院したあとは、転院して介護病棟で2年を過ごして亡くなりました。
一緒に暮らしたのは、10年ほどです。
その間にはいろいろなことがあり、本人もそうでしょうが、家族も大変な思いをたくさんしました。
でも、今思い返してみれば、何事にも不器用な人でしたが、他人に気を回せる人だったなと思い出します。
ホスピタリティは、人一倍持っている人でした。
たとえピント外れなことが多かったにしても…。
そんなひいおばあちゃんに、ひとつ感謝していることがあります。
近所の人だったか親戚の誰かだったか、近しい人が亡くなった時のことでした。
「なにがあっても、とにかく食べることをする。朝起きたら米を研いで湯を沸かす。」
そう言ってひいおばあちゃんは台所に立ちました。
ああそうだな、何があっても生きている人間は、生きていかなきゃいけない。
素直にそう思いました。
私は、毎朝起きると、まずやかんを火にかけ、ご飯を炊きます。
ちょっぴりひいおばあちゃんに感謝する瞬間です。
おはようございます。嫁ぎ先の母の事を懐かしく想い出されました。人にはいろんな人生があります。嫁は姑に似るといいます。母は貴重面で静かな働き者でした。小姑「女」5人、私の悪口も言わず名前を呼び優しくしてくれました。今思うと、見習う事が多かったと思い有難さを感じる今日この頃です。16日はつみ
思い出してもらえる、懐かしく思う…ステキなことですね。16日雨宮
溝呂木様 他人と一緒に暮らす大変さと面白さは、体験した者にしか分からないかもしれませんね。私も思い出いっぱいです。16日宮澤
自分を奮い立たせる瞬間でしょうか。いろいろな思いを断ち、やかんに火をかけご飯を炊く。いいですね。今日も気持のいい朝を迎える瞬間ですね。夜は、明日のためにゆっくり寝てください。(たまにでいいから)16日誠子
溝呂木さま、
こんなに、簡単のことのようだけど、生きていく原点はここにありそうですね、火をつけるって、言うことが懐かしく感じます、我が家は、今はIHだから電気が止まればどうしようもない時代です。火でお米やお湯をわかす、なんて最高に良い言葉です、、人の教えは、色々ありますが、今、思うと、厳しい生活の中から、鍛えられてきたんだなと思っています。何処も同じでしたよ、10月16日.東條初惠、
私は祖母とくらせなかったので、なんだかちょっとうらやましい感じもします。
ありがとうございます。何度も読みました。返信がうまく書けないのは、きっと、そんな理由でしょうか?